喘息患者・アトピー患者は苦しくて辛くて、だから不幸なのか?
こんにちは。
0歳児からの喘息、アトピー患者です。
あんころです。
病には苦しみ辛さが付き物ですよね。
喘息やアトピーにおいても例外ではなく、症状による苦しみと、精神的な苦しみと、2通りの苦しみと向き合わなくてはなりません。
さて今回は、私自身がどうであったかを、思い出しながら書いていこうと思います。
近年小児喘息やアトピーの子どもが増えているようです。
それらがどんな苦痛を与えているのか、本人にしか分かりません。
しかし寄り添う心があれば、「今この人が苦しんでいるのだ」という事実を受け入れることさえできれば、何かが違ってくるのではないかと思うのです。
※注意書き※
この記事を読んで、くれぐれも、御自身やお子さんに無理矢理押し付けたりしないで下さいね。
病状や環境は各々違います。
「喘息でも走れるじゃねーか!」とか止めて下さいね。
「私、甘えてるのかな…」なんて思う必要はありません。
むしろもっと甘えて下さい。
この記事はただの『私個人の過去の振り返り』の記録です。
それ以外の意味や目的は持ちません。
私は幸せ
結論から言うと、私の人生、喘息とアトピーに限って言いますと、不幸ではありませんでした。(まだ途中だけどね)
私は『私が喘息やアトピーであること』を責められたことがありません。
嫌な思いをしたり、せつない気持ちになったことは当然あります。
けれど『不幸』とは思いませんでした。
そして私は『可哀想』な存在ではない、という気持ちが強い。
私は喘息もアトピーも、誰のせいにもしていません。
ただ、それを持って産まれた。
それだけ。
だから、お父さんお母さん、産んでくれてありがとう。
と、心から言える。
おかげで、ともに生きるパートナーと可愛い宝物たちに出会えました。
私は自分の生と私の家族に、心から感謝しています。
喘息やアトピー患者は私だけ
私が子どもの頃、「喘息やアトピー患者は私だけ」状態でした。
なのに、周囲から差別されたり誤解されることはありませんでした。
特に見た目では分からない喘息において、私は恵まれていたのだと思います。
小学校では、友達とわーっと皆で走り出せば「喘息だよね?!大丈夫?」と気遣ってくれました。
立ち止まって、振り返ってくれました。
小・中・高の学生時代のマラソン大会は、全て走りきりました。
練習は皆と同じ距離を走れない日もありましたが、それをズルイと言わることもなかったです。
運動(特にマラソン)の後は喘息の発作がでます。
息切れと同時に呼吸困難が起こりとても苦しかった。
チャイムが鳴って次の授業が始まっても、先生は発作が治まるまで横にいてくれました。
マラソン大会当日、走り終わったあと、皆の前で名前を呼ばれ「喘息だけど頑張って走った」と紹介されたりもしました。
友達からの理解があったのは頻繁に発作を起こしていたせいかもしれないし、先生が落ち着くまで付いていてくれたのは何かあったら危険だと判断していたのかもしれません。
皆の前で紹介されたのも、後から思えばやっかみ防止になっていたと思います。
やはり「特別扱い」は子どもにとって穏やかなことではありませんから。
私は、マラソン大会で毎年走らせてくれた先生方に感謝しています。(マラソン嫌いだけど)
危ないから、次の授業に影響がでるから、「走らせない」という選択肢もあったはずですから。
両親の苦労
幼少の頃は、運転が出来ない母が自転車で病院に連れていってくれました。
雨の日は大変だったと聞きました。
タクシーに乗るお金がなくて、かわいそうだけど二人で雨に濡れながら自転車で通院したそうです。
夜中に発作が起きて一緒に腹式呼吸をやったくれたこともありました。
(当時はそんなのいいから早く吸入してくれよと思っていた、お母さんごめんなさい。だって苦しいんだよ)
私が高校生の頃、友達からヌイグルミを貰って帰宅したら「喘息やアトピーがあるからヌイグルミは家に置かなかった(ダニの家になるから)、可哀想だと思ったけど…」と、母の言葉。
そこには、女の子だからヌイグルミを買ってあげたかった等の報われなかった気持ちが含まれてるのかな?とも感じました。
当の私は特にヌイグルミに特に興味がなかったようで、気にしてたのか?!と驚いた…というかぬいぐるみが無かった事に初めて気付いたくらいの興味の無さです。
(リンク先:Amazon)
学生時代に一人暮らしをしていて風邪をひいたときは、母が仕事を休んで新幹線で3時間の距離を看病にきてくれました。
(これは本当に嬉しかった。お母さんありがとう!)
アトピーでは庭で育っていたアロエを傷に貼ったり、冬に乾布摩擦したり、温泉に連れていってくれたり。
温泉は入るだけでなく帰りに温泉水を購入しお風呂上がりに浴びていました。
シャワーヘッドが付いたホースを、温泉水の入ったポリタンクに取り付けてね。
これがキャンプみたいで楽しかったんですよ。
あとは海水浴びに行ったりね。
(海水が傷にしみて超絶痛かった。当時はちょっと恨んだ。お父さんごめんなさい)
これらは主に父がやってくれました。
完全に民間療法ですね。
それほど、どうにか治らないか考えてくれたのでしょう。
(お父さんありがとう!)
私の知らない苦労がたくさんあったのだということは、容易に想像できます。
しかし、おまえがアトピー&喘息のせいで!と責められたことがなかったです。
おかげで、かの有名な育児書「子育てハッピーアドバイス」で頻繁に登場する自己肯定感が育ったのではないかと思います。(ただし喘息・アトピー関連に限る)
(リンク先:Amazon)
ゼーゼーウルセー!とか、大袈裟だよ~気のせいだよ~とか、キモチワルー!とか言われて育ってたら、人格が歪んでいた可能性も否定できません。
これらの言葉や態度には、それほど傷付くのです。
施設
あ。
一つだけ落ち込んだセリフがありました…
母の中でいつになったら良くなるんだ!という気持ちはくすぶっていたようです。
~までに(例えば半年後の夏とかね)なおらなかったら施設に入れる!と数回言われました。
園児か小学校低学年か、その頃。
施設がなんなのか分からず、どうしたら喘息が治るのかも当然わからないし、ただただ怖かった。
本人(私)の努力でどうにもできない事を要求するのは辞めましょう。(涙目)
施設というのは、後から調べてみたら「健康学園」というものがあるようです。
健康学園(けんこうがくえん)とは、肥満や気管支喘息、偏食、病弱などの健康上の障害のある児童に、集団生活ときちんとした健康管理と教育によって、健康改善の機会を提供しようとする試み、もしくはそのための全寮制の教育施設のことをいう。
(出典:Wikipedia)
喘息においては、空気の良い場所で集団生活をしながら勉学に励み、自立心等を育てながら健康の回復をはかる、というねらいと目標があるようです。
母がこの「健康学園」のことを施設と言っていたのかどうかは定かではありません。
今更聞くのも…ね。
でもやっぱり小学生の自分が「健康学園」を詳しく説明されていたら、恐かったかも(苦笑)
たぶん「捨てられた…」って、たぶんというか絶対勘違いする。
私はそういう人間です。。。
兄弟の話
細かいことは覚えていないのですが、たぶん幼稚園児の頃。
私は家で布団に横になり、喘息の発作に苦しんでいました。
母は外出していて兄弟が付いていてくれました。
そのころは吸入器は親が管理していたため、母が帰るまで発作に耐えるしかなかったのです。
そんな私に、兄弟が突然、吸入時に使う筒状のものを口に当ててきたのです。
(子どもは上手に薬を吸えないので、薬を逃がさないように筒状のものを吸入器と口の間にあてていました。吸入補助具といいます。)
そして、
自分(兄弟)の息をふっっ!!!っと吹き込んできたのです。
呼吸困難で、
酸欠で、
苦しむ私に、
二酸化炭素を吸わせてきやがった。
私は、母がまだいない事は分かっていました。
思考が追い付かず、しばらく頭は真っ白。
そのうち母が帰宅して、兄弟「おかあさん!!○○(私)がっ!!!o(T□T)o」というシーンで記憶が終わっています。
分かっています。兄弟が慌てて焦ってどうしていいか分からない中、どうにかしてやりたくてとった行動だということを。
責める気なんて全くありません。
しかし思い出すとなんだか少し複雑な気持ちが過ります(笑)ほんのちょっぴりだけどね!
そういえば 吸入補助具を今回はじめて検索しましたら、色々あるんですねぇ。
私のは紙製でしたよ(・・;)ボロボロでしたよー。
こちらのリンク先は小児用(0~18ヶ月)なのですが、画像の通り6種類あり、大人用もあります。
こちらはタイプと対象年齢の組み合わせです。
リンク先店舗のShop de clinic楽天市場店さんの画像をお借りしました。
ピンクがガールズ用、グリーンがボーイズ用、ブルーは2本とも大人用。
オシャレですねぇー、繰り返すけど私のは紙だったんですよー
こんな可愛いものがあったら、お子さんのテンションも少し上がるかもしれませんね(*´∀`)
おわりに
思い出しながら書いたので、変な箇所があるかもしれませんが、ご容赦を。
そのうち続きを書きますので!
どうぞ宜しくお願いします。
さようなら~
/
アロエベラ(食用アロエ・ジュース・万能薬・4号鉢)楽天市場